政治

【Article】小嶋華津子:中国の「法治」と「大湾区」構想

習近平政権の下で、「法治」は中国政治を理解するうえで、ますます重要なキーワードとなっている。その射程は広い。一方には、党・国家機関や市場・社会を法規範によって規律し、汚職を取り締まり、秩序ある統治を実現しようとする国内の「法治」がある。他方、近年とりわけ重視されているのが「渉外法治」(対外関係に関わる法治)である。そこには、米国などによる国内法の域外適用や経済制裁に対抗するための法制度を整備するという側面と、国際的なルール形成における中国のプレゼンスを高めようとする側面がある。

【Article】小嶋華津子:中国の「法治」と「大湾区」構想

中国の「法治」のなかの粤港澳大湾区

習近平政権の下で、「法治」は中国政治を理解するうえで、ますます重要なキーワードとなっている。その射程は広い。一方には、党・国家機関や市場・社会を法規範によって規律し、汚職を取り締まり、秩序ある統治を実現しようとする国内の「法治」がある。他方、近年とりわけ重視されているのが「渉外法治」(対外関係に関わる法治)である。そこには、米国などによる国内法の域外適用や経済制裁に対抗するための法制度を整備するという側面と、国際的なルール形成における中国のプレゼンスを高めようとする側面がある。

本稿で取り上げる粤港澳大湾区(以下、大湾区)における法治建設は、いわばその中間に位置する。大湾区は、中国という一つの国家の内部にある。しかし、そこには中国本土とは異なる法制度をもつ香港、マカオという二つの特別行政区が含まれる。大湾区を一つの経済圏として発展させようとすれば、異なる法制度をどのように接続するのかという問題を避けて通ることはできない。それは中国国内の統治に関わる問題であると同時に、異なる法秩序を併存させながら、その間にいかにして共通のルールを形成するのか、という点で、「渉外法治」にも通じる問題を提起している。

筆者は2026年9月、広東省広州市を訪問し、現地の研究者や法曹関係者、日本総領事館の方々と交流する機会を得た。本稿では、現地で得られた知見を手掛かりに、大湾区という実験から中国の「法治」の何が見えてくるのかを考えてみたい。

「一国二制度三法域」という大湾区の特徴

2019年2月、党中央と国務院は、「粤港澳大湾区発展計画綱要」を公布した。広州、深圳、珠海など広東省の9都市と、特別行政区である香港、マカオを一体的な経済圏として発展させようという構想である。

しかし、一体的な経済圏を構築するといっても、それは容易なことではない。橋を架け、鉄道を通し、空港や港湾を結ぶ――このようなハードウェアの「連結」は目に見えやすく、比較的容易である。しかし、人や企業、モノや情報の越境が活発化すれば、厄介な問題が生じる。ある地域で取得した資格や免許が別の地域でも通用するのか。香港で承認された医薬品を深圳の病院で使えるのか。香港の法院が下した判決は広東省で執行できるのか。契約等をめぐって紛争が起きた場合、どの地域の法律を適用するのか。実際に、2019年から2025年までに広東省の人民法院が一審で結審した香港・マカオ関連の民商事事件は8万6293件に達したという。

大湾区は「一国二制度三法域」という特徴をもつ。中国本土、香港、マカオは一つの国家に属しながら、異なる法体系を維持している。香港にはコモンローの伝統があり、マカオの法制度にはポルトガル法の影響が残る。司法制度だけでなく、行政規制、専門資格、企業活動に関わる様々なルールも異なる。

「規則銜接」と「機制対接」

そこで大湾区建設において強調されるようになったのが、「規則銜接」(規則の接続)と「機制対接」(メカニズムの連携)である。日本語にそのまま置き換えるのは難しいが、前者は、異なる地域の規則や基準を接続すること、後者は、異なる制度のもとにある行政・司法機関などが協働するための仕組みや手続きを接続させることを意味する。いわば、「何をルールとして認め合うのか」と「それを誰が、どのような手続きで動かすのか」の違いであると言えるだろう。2024年7月、中国共産党第20期中央委員会第三回全体会議で採択された「決定」には、大湾区の協力を深化させ、「規則銜接」と「機制対接」を強化するという方針が明記された。

では、異なる三つの法制度をどのように接続するのか。ここで興味深いのは、中国が三地域の法制度そのものを一挙に統一する方法を採っていないことである。

一例が、「港澳薬械通」(香港・マカオ医薬品・医療機器利用制度)である。中国本土では原則として、国家の承認を受けていない医薬品・医療機器を使用できない。そこで2020年、中央政府は大湾区の内地9都市の指定医療機関について、香港・マカオですでに使用されている臨床上緊急に必要な医薬品・医療機器を、広東省政府の承認によって使用できる道を開いた。専門資格についても同様である。横琴(珠海市の対マカオ合作区)では、香港・マカオの建築士や測量士などが内地の資格を取得し直さなくても、一定の条件を満たせば届出によって業務を行える仕組みが導入された。同様の制度は前海(深圳市の対香港合作区)、南沙(広州市の粤港澳協力区)にも広がっている。また、香港・マカオの弁護士についても、全国人民代表大会の授権による試行を経て、9都市で一定の法律業務を行う道が開かれている。

これらは主として、「規則銜接」の事例である。他地域の承認や資格を一定の条件で受け入れたり、それを基礎として特別な資格や活動の経路を設けたりすることによって、制度を統一しないまま、制度間の壁に「通路」を設けるのである。

一方、「機制対接」は、それらの規則を現実に動かす仕組みに関わる。例えば、司法の領域において、横琴粤澳深度合作区人民法院とマカオ特別行政区終審法院との間には、司法文書の送達や証拠収集を直接委託する仕組みが設けられている。従来は、上級法院を経由して行われていた送達や証拠収集について、最高人民法院の授権により、中間の転送段階を省いて両法院が直接やり取りできるようになった。前海法院とマカオ終審法院の間でも、オンラインによる相互の送達・証拠収集が行われている。また、2024年には、広東省高級人民法院が香港・マカオの調停組織を大湾区の「特別招聘調停組織」として受け入れる試行を開始し、香港調解会など7団体、120名の香港・マカオの調停人が越境紛争の解決に参加する仕組みも作られた。このように、法制度そのものを同じにするのではなく、異なる制度を担う機関同士を結び、その間の手続きを円滑にする。これが「機制対接」にみられる典型的な方法である。

論点1:接続の範囲と限界

では、大湾区における「規則銜接」と「機制対接」の試みは、我々にどのような論点を投げかけているのだろうか。第一の論点として挙げたいのが、接続の範囲と限界に関する論点である。「規則銜接」と「機制対接」が要請されているからといって、当然ながらすべての規則を同じように接続して良いというわけではない。現地の研究者による整理でも、「容易に接続できるもの」(中国語:容易銜接)、「接続可能かもしれないもの」(中国語:可能可以銜接)、「接続できないもの」(中国語:不能銜接)の間の区別が意識されていた。

現在、接続が比較的進んでいるのは、民事・商事・専門資格・行政サービスなどの領域である。これらの領域は、地域の発展のために経済活動を円滑化するという共通利益が見出しやすく、柔軟な対応を採りやすい。この点で興味深いのが、「ソフト・ロー」(中国語:軟法)の活用である。調整が難しい国家の法律や行政法規をそのままにして、業界団体、専門家、研究者などが主導できる範囲で共通の標準、業界規範、ガイドラインを形成する。いきなり法制度を統一するのではなく、「小さな切り口」から始め、実現可能なところから接続を積み重ねる。そして条件が熟した段階に至って、必要に応じてより拘束力の強い規範へと移行する。そこには、国家による上からの制度形成とは異なる、ボトムアップ型の規則接続の可能性も指摘されている。

他方、同じ方法を刑事司法に適用することは難しい。犯罪人の引き渡し、刑事証拠の取得、捜査、押収、身柄拘束などは、国家による強制力の行使と個人の自由に直接関わる。2019年の香港における逃亡犯条例改正問題が示したように、この領域で香港と本土を制度的に接続することは、民商事判決の承認とは意味が大きく異なる。

もっとも、民商事と刑事司法の間に明確な境界線を引けるわけではない。経済・社会活動を円滑にするためには接続が必要でありながら、個人の権利や国家安全に関わる中間的な領域も存在する。その典型が、データの越境移動である。香港の患者が深圳で診療を受けた場合、その医療情報は必要に応じて香港へ戻す必要が出てくる。また、香港やマカオの大学が広東省内のキャンパスで調査研究を行った場合、研究データを特区内に移動させる必要も出てくるだろう。実際に、こうした個別の必要に応じて、データ移動のための特別なルートが設けられてきた。しかし、データは単なる経済資源ではない。個人情報の保護に関わると同時に、とりわけ中国本土では、どのようなデータを国家の安全に関わる「重要データ」として特別ルートの対象外とするかが重要な問題となる。

専門資格や手続きの相互承認など「容易に接続できるもの」から始められた「規則銜接」と「機制対接」の試みは、範囲の拡大につれ、個人の権利、国家の強制力、国家の安全などの領域に及ぶようになるだろう。「接続可能かもしれないもの」と「接続できないもの」をどのように設定するのか、関係者は常に難しい判断を迫られることとなる。

論点2:大湾区から「渉外法治」へ

ここでもう一度、大湾区が「一国二制度三法域」であることの意味に戻りたい。法制度の違いは、大湾区を統合するうえでは明らかに障碍である。しかし、それは中国が「渉外法治」を推し進めている現状においては、単に克服すべき障碍なのではない。とりわけ香港が維持してきたコモンローの伝統、英語による法律実務の実績、国際社会から高評価を受けている国際仲裁・商事紛争解決の経験は、中国が国際的なルール形成において影響力を拡大しようとする際に、活用すべき一つの資源となる。

実際に、大湾区の「規則銜接」と「機制対接」においては、香港・マカオの法律をそのまま利用しようとする試みも多方面に見られる。例えば、広東省高級人民法院が統括し、広州市中級人民法院が運営する「粤港澳大湾区法律調査・確認プラットフォーム」には、香港・マカオの法令3万件余りと、それらの法が人民法院の確定裁判で認定された判例400件余りが収録され、参照されている。また、2024年には中国本土と香港との民商事判決の相互承認・執行に関する取決めが施行された。さらに2025年には、大湾区内地側で設立された一定の香港・マカオ投資企業について、香港・マカオ法を契約の準拠法として選択し、香港・マカオを仲裁地とすることを認める方向が示された。

他法域の法律を調査し、必要に応じて適用する。異なる法院の判決を承認する。当事者に準拠法や仲裁地の選択を認める。これらは、大湾区内部で異なる法制度間の紛争を処理するための仕組みであるが、同時に、異なる法秩序が併存する国際環境の中で紛争を処理する技術としても援用可能な部分があるだろう。現に2024年の三中全会の「決定」が大湾区の「規則銜接」「機制対接」を「高水準の対外開放」に結びつけて論じていることに鑑みれば、少なくとも党中央が大湾区の法治建設を「渉外法治」に向けた戦略の一環と位置付けていることは間違いないと思われる。

中国の規模と中央政府の権力とを考えれば、「一国二制度」の下にある香港・マカオの法制度も、やがては本土側へと収斂していく/させられていくのではないか、と考えることはできる。実際、そのような力学が存在することは否定できないだろう。だが他方で、少なくとも現状において香港が本土と異なる法制度を維持していることは、中国が「渉外法治」を推し進めるうえで価値があるのだ。

したがって、大湾区には現在、二つの異なるベクトルが内包されているようにみえる。一方には、三地域の法制度的差異を縮小し、経済領域を中心に地域を一体化させようとする力である。他方には、その制度的差異を残すことによって、それを中国と国際社会とを結ぶ資源として利用しようとする力である。中国が大湾区においてこれらをどうバランスさせるかは、中国が将来、より多様な法秩序との関係をいかに調整し、ルール形成を主導しようとしているのかを考える一つの材料になるだろう。

論点3:「頂層設計」と地方の裁量権

今回の広州訪問を通じて筆者が最も興味深く感じたのは、「規則銜接」と「機制対接」による新たな制度形成を誰が担うのか、という中国政治そのものにかかわる問題であった。

異なる法制度を柔軟に接続しようとすれば、現場には一定の裁量が必要となる。既存の法律をそのまま適用するだけでは、新しい制度は生まれないからである。ところが、中国の地方政府には、連邦制国家の州のような固有の自治権があるわけではない。地方には「立法法」に基づき一定の立法権が認められているものの、その権限には明確な階層性があり、上位法に反する制度を自由に作ることはできない。そこで、既存法の適用を変更しながら新たな制度を試みる際に重要となるのが、中央による「授権」である。しかし、現行「立法法」が定める改革のための授権についても、その対象や範囲が常に明確であるとは限らない。ましてや、「ソフト・ロー」を担うべき社会組織・業界団体の権限に至ってはいっそう限定的である。習近平政権のもとで、党中央の統一的領導と「頂層設計」(習近平総書記を頂点とする党中央が政策の設計から実施までを差配するシステム)が強調されるなか、地方や社会組織が独自に制度を形成しうる裁量の範囲はいっそう狭まりつつあるように見受けられる。

実際に、地方政府は「規則銜接」や「機制対接」を進めるにあたって、常に中央の許可を得なければならない。例えば、前述の「港澳薬械通」は、広東省が独断で国家の医薬品規制を変更したわけではない。中央が特定地域・特定事項について広東省に権限を与えたからこそ可能になったのである。香港・マカオの弁護士が大湾区内地9市で業務を行う制度についても、全国人民代表大会常務委員会による特別な授権を経て試行されたものであった。

しかし、何かにつけ逐一中央の許可を得なければならないのでは効率が悪い。しかも、例えば医薬品を承認し、流通させ、医療現場で使用するまでの過程を例にしても、そこには国家薬品監督管理局、国家衛生健康委員会、国家医療保障局、商務部など複数の政府部門が関与しており、意見や利益の調整は容易ではない。また、上位機関の担当部門は必ずしも現場の状況に精通しているわけではなく、大湾区構想やそこでの法制度の接続に対する熱意や関心は上に立つ幹部によっても温度差がある。それまで前進していた政策が人事異動によって停止を余儀なくされることもままあるという。大湾区の「規則銜接」や「機制対接」を担う地方政府の職員は、このように不確定要素の多い意思決定の連鎖のなかに身を置きながら、業務を遂行しているのである。ここには、大胆な改革の方針と政策決定の集権化がもたらす逆説的な状況が体現されていると言えるだろう。

大湾区からみえる中国の「法治」

大湾区における「法治」建設を、文献と現地での聞き取りの双方からみて改めて感じたのは、中国という国家が示す長期的な戦略性と、その戦略を実際の制度へと変換する過程で直面する法的関係、人的関係、利益関係の複雑さであった。

外から中国を眺めると、「粤港澳大湾区」、「渉外法治」、あるいは「一帯一路」といった巨大な国家戦略がまず目に入る。そこでは党中央が長期的な目標を掲げ、国家全体が一つの方向へと動いているようにみえる。しかし、その巨大な政策を具体的な制度へと変換するのは、一人ひとりの官僚、裁判官、法律家、専門家である。彼らは中央の方針を読み、自らに与えられた権限の範囲を見極め、関係部門と交渉し調整する。その間にも中央の政策が変化し、関係各部門の担当者が交代し、経済や財政の環境が変わるかもしれない。どの主体も、その全体を完全に制御することはできないのである。

今回、現地で日本・中国双方の関係者から話を伺うなかで印象に残ったのは、近年の中国の地方政府職員について、「必死に働いている」という評価を繰り返し耳にしたことである。反腐敗運動と規律強化のもとで政府職員を取り巻く環境は厳しくなった。経済成長の鈍化や地方財政の悪化も加わる。それでも、熾烈な競争を勝ち抜いて政府機関に入った人々は、中央が掲げる長期目標を具体的な政策へと変えるために、懸命に働き続けている。

もちろん、こうした中国の政治体制が硬直性や萎縮、浪費といった問題を孕んでいることを指摘するのは簡単である。しかし、そうした中でも着実に制度的イノベーションが生み出されつつあることから目を逸すならば、実態を捉え損なうのではないか。壮大な「頂層設計」と、限定された権限のなかで工夫を重ねる現場。その間を、授権、試行(中国語:試点)、相互承認、届出、さらには業界団体などによるソフト・ローといった、さまざまな制度的装置がつないでいる。そこで生じる摩擦や試行錯誤を通じて、新しいルールが形成されていく。そして、そこで蓄積された経験は、大湾区にとどまらず、中国が国際的なルール形成においてプレゼンスを発揮するための基礎を提供するだろう。

そうした意味で、大湾区には、習近平時代の中国が構築しようとしている「法治」の可能性と、その内在的な緊張の双方が映し出されているように感じた。

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