中国を読む――書き手と語る、問いと視角

【中国を読む】岩間一弘さんと『中国料理の世界史』を読む

ラーメンも餃子も、いまや日本の食卓に欠かせない。そして中国料理は、アジアの各地でも、それぞれの土地の「国民食」へと姿を変えてきた。今回は、慶應義塾大学文学部の岩間一弘教授をお迎えし、著書『中国料理の世界史 美食のナショナリズムをこえて』(慶應義塾大学出版会、2021年)をめぐって語っていただいた。上海留学で芽生えた問題意識から、東南アジアを歩き、食べ、調べたフィールドの日々、そして本書に描ききれなかった中国国内の奥行きまで。「食」という身近な入口は、私たちの中国理解をどうほぐしてくれるのか。具体的なエピソードを交えて聞いた。

岩間一弘さんと『中国料理の世界史』を読む

Summary

要旨

ラーメンも餃子も、いまや日本の食卓に欠かせない。そして中国料理は、アジアの各地でも、それぞれの土地の「国民食」へと姿を変えてきた。今回は、慶應義塾大学文学部の岩間一弘教授をお迎えし、著書『中国料理の世界史 美食のナショナリズムをこえて』(慶應義塾大学出版会、2021年)をめぐって語っていただいた。上海留学で芽生えた問題意識から、東南アジアを歩き、食べ、調べたフィールドの日々、そして本書に描ききれなかった中国国内の奥行きまで。「食」という身近な入口は、私たちの中国理解をどうほぐしてくれるのか。具体的なエピソードを交えて聞いた。

餃子から始まる――「食」という入口

対話は、一皿の餃子から始まった。聞き手の実家の餃子は、水餃子だった。水餃子か、焼き餃子か。その違いには、じつは深い意味がある。岩間さんの本を通じて、かつての経験を思い出した。「なぜ自分の家は水餃子だったのか」という素朴な疑問は、食を通じて相手を、この場合は中国を理解するという問いへとつながっていく。食というテーマは、おいしい、楽しいというだけではない。そこには、もう少し深い学術的な意味がある。岩間さんの専門は、東アジア近現代史、食の文化交流史、中国都市史。研究上のキーワードは「中国料理」である。

上海で出会ったもう一つの中国――食文化研究への転回

転機は2010年に訪れた。当時在職していた商学系の大学の制度で、岩間さんは上海に1年間留学する。折しも上海は日本企業の進出ブームの只中。「中国に進出しないことがリスクだ」と語られるほどの熱気は、わずか15年で様変わりした今からは想像しにくい。現地で日系外食産業の人々と付き合ううちに、歴史学や都市文化を中心に学んできた自身とはまったく違う知識と中国観に触れ、「自分の考えは大丈夫なのか」と感じたという。食を通して中国を見る、食を通してアジアの歴史を考える。それはよいアプローチになるのではないか。そう初めて思ったのが、この時だった。食の研究を始めてまだ15年。それ以前に取り組んだ上海史のほうがずっと長く、一生懸命追いつこうと勉強してきたと振り返る。

出発点には、都市生活への関心があった。衣食住のなかでも、食はとっつきやすい。ただ、それだけに難しさもある。食については実にさまざまな分野の人がそれぞれに論じており、食べ物そのものではなく「食を通して中国やアジアの社会を見る」ことに関心を置く岩間さんにとって、他分野との議論がうまく噛み合わないもどかしさもあるという。それでも、中国やアジアに対する新しい見方には、まだまだ開拓の余地がある。そこに、この研究の手応えを感じている。

『中国料理の世界史 美食のナショナリズムをこえて』書影
『中国料理の世界史 美食のナショナリズムをこえて』(慶應義塾大学出版会、2021年)

ラーメンは特別か――アジア各地で「国民食」になった中国料理

食はいま、アカデミズムの世界でも関心が高まっている分野だ。学会でも話は大いに盛り上がる――食については、誰もが一言二言、自分の経験を持っているからだ。専門的な研究も次々と生まれ、英語圏には食を専門とするジャーナルだけで4〜5誌はある。やりがいは大きいが、その分、関わる仕事も増えてにぎやかになる。もともと食の研究といえば、経済史における食料生産・流通が大きな分野だった。岩間さんが選んだのは、食料ではなく「料理」である。調理師や家政学、文学の視点とは異なる、人文社会科学・歴史学の視点から料理を扱うことで、見えてくるものが数多くあった。

本書の主題は、中国料理が世界各地に渡り、それぞれの国の「国民食」になっていく事例の解明である。日本の中国料理は「確立されていて特別だ」と語られることが多かった。ラーメンは中国料理でありながら日本の国民食になった、それは外国文化を受け入れて自分のものにする日本人の能力の高さを示している。そんな議論が、かつては盛んだった。しかし実際には、中国料理はアジアの各地でそれぞれの国民食となり、現地の人々はその中国ルーツを忘れている。タイのパッタイ、ベトナムのフォー、シンガポールの海南チキンライス。中国文化を受け入れて自分のものにした多くのアジアの国々のなかの一例として、日本の外国文化受容を客観的に見つめ直す。それが、本書で明らかにしたかったことだという。

鍵となるのは、中国からの「距離」である。地理的・文化的に近いアジア圏では、中国料理はその国の国民食になり、ルーツが忘れられていく。韓国のチャジャン麺は誰もが知る国民食であり、日本のラーメン、タイのパッタイ、ベトナムのフォーも同様だ。一方、欧米圏では、受け入れられてもエスニック料理の域を超えない。そして、政治の緊張や対立も、わずかに影を落とす。食は本来、歴史的・政治的な背景から「漂白」されて伝わっていくところによさがあるが、完全にそうとは言えない。日中関係が悪化すれば、中華料理店で働くアルバイトを気遣う声が上がり、チャイナタウンの客足が鈍ることもある。政治から相対的に自由でありながら、その影が時に差し込む。食には、そんな微妙な距離感がある。

歩いて、食べて、書く――フィールドの楽しさと資料の壁

執筆で一番苦労したことは何か。そう水を向けると、意外な答えが返ってきた。あまり苦労していない、楽しかった。東南アジアの国を一つずつ訪ね、文献を調べ、中国料理を食べる。それをひたすら繰り返す、フィールド中心のプロセスだった。初めての食の研究に、無我夢中で取り組んだのだという。ただ、大変だったのは先行研究と文献資料の収集である。中国や日本と違って、東南アジアには歴史資料が少ない。懸命に探して、結局見つからなかったことも多かった。しかも、それは予想の外のことだった。何しろ「こんな国にも中国料理があるのか」というところから出発した研究なのである。本書の刊行前後には世界各地の中国料理への関心が高まり、関連書が出て、『地球の歩き方』にも取り上げられるようになった。何も知らないところから始めたからこそ、面白かった。このように岩間さんはそう振り返る。

書き終えてもなお、わからないこと

この番組で毎回尋ねる問いがある。本を書いて明らかにできたことではなく、明らかにならなかったこと、そして次に残された重要な課題は何か。岩間さんの答えは明快だった。本書は海外の中国料理の記述が充実している反面、中国国内の記述が相対的に薄い。抜けてしまったのは「地方料理」である。中国には識別された55の少数民族が暮らし、人口14億というスケールのなかで、地域差は極めて大きい。北の小麦、南の米という違いだけではない。唐辛子などスパイスの使い方、各地のソウルフード、さらには料理体系そのものが違うと主張されるほどの多様性がある。

しかも現代中国では「省」が強い単位となり、省ごとに料理を打ち立てようとする動きが目立つ。折しも、無形文化遺産化の時代である。料理をはじめさまざまなものを無形文化遺産にし、観光資源として国内観光の振興につなげる動きも進む。「そのあたりは、ほとんど描けなかった」。外国人研究者にはなかなか踏み込みにくい領域だが、東南アジアの国々を一国ずつ訪ねたように、中国の省や地方も、それぞれに違った状況を抱えている。そこに分け入れば、私たちの中国料理理解も、中国理解そのものも、大きく変わるはずだ。日本の中国料理研究、そして中国文化研究には、まだまだ開拓していける余地がある。

「食」というもう一つの扉

中国の食の理解と、中国理解。似ているようで、同じではない。難しい質問だと断りつつ、岩間さんはこう語った。日本の中国に対する見方は、一部の分野やテーマに集中しがちである。世論調査での対中好感度は、世界のなかでも特殊なほど低い。だがそれは、中国の各地方や文化、料理を見たうえでのことではなく、ある特定の中国を見た結果ではないか。中国は政治の国であり、日中関係が不安定で多くの問題を抱えていることは確かだ。しかしその一方に、なかなか注目されない、「強面の中国」とは違った中国世界がある。中国に関わった人の多くがその魅力を感じるのに、日本で報道を見ているだけでは、なかなか見えてこない世界。それを伝えるのに、食はとても向いている。多面的な中国を理解するための、もう一つの扉。食を通じて、そのもう一つの中国世界を見ていけたら。対話は、そんな言葉で結ばれた。

People

出演

加茂具樹
司会

加茂具樹

慶應義塾大学総合政策学部・学部長 教授 博士(政策・メディア)

現代中国政治外交

岩間一弘
ゲスト

岩間一弘

慶應義塾大学文学部・教授 博士(学術)

東アジア近現代史、食の文化交流史、中国史。

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