米中の戦略的競争や対抗について語るとき、日本ではワシントンや北京を想定して論じることが多い。しかし、アメリカも中国も一枚岩ではない。特にアメリカは連邦制をとっているため、州ごとに独立意識も強く、中国に向けられる視線も異なる。
今回は、テキサス州ダラスのサザンメソジスト大学(SMU)で教鞭をとっておられる武内宏樹教授に、ダラスという場所だからこそ見えてくる日米中関係、中国経済の現状、そして中国をめぐるナラティブについてお話を伺った。
ダラスから見た日米中関係
小嶋 ダラスから現在の日米中関係をどう見ていますか。
武内 日米中の三国は、グローバル・バリュー・チェーン(GVC)とよばれる国境をまたぐ工程間分業によって、経済の相互依存関係で結ばれています。ただ、GVCが日米、日中、米中という二国間関係に与える影響は、それぞれ異なります。
端的にいえば、日米は安定、日中と米中は不安定です。GVCに基づく経済の相互依存関係は、安定した日米関係の基礎になっています。多少摩擦があっても、日本企業によるアメリカへの海外直接投資(FDI)が二国間関係の復元力になります。一方で日中関係はと言えば、中国も日本のFDIから恩恵を受けているのですが、今般のレアアース(希土類)を含むデュアルユース(軍民両用)品の対日輸出規制に見られるように、経済の相互依存が中国によって政治的に「武器化」されやすい。米中関係も経済が基盤であることに変わりはないのですが、その性質は日米関係とは大きく異なります。アメリカが(代替供給元を探すのが難しい)レアアースの供給を中国に頼り、(代替供給元を探すのが容易な)大豆をはじめとする農産品の輸出先を中国に依存するという貿易構造だったために、中国による経済の武器化に対して非常に脆弱な関係でした。
総じていうと、日米が健全な相互依存であるのに対し、米中の相互依存はいびつで、政治対立と経済摩擦が共鳴しやすい関係だといえます。日中関係は、安全保障や経済以外の係争点も多く、良好な関係を維持するのがさらに難しい状況です。
武内 テキサスにおいて、日本は過去10年間、FDIによって最も多くの雇用を創出してきた国です。ダラス・フォートワース(DFW)都市圏だけでも、トヨタが2017年にカリフォルニア州ロサンゼルス郊外のトーランス市にあった北米総本社をダラス郊外のプレイノ市に移したほか、富士通、NEC、オリックスといった日本の有力企業も長年本社機能を置いてきました。最近では、DFWの不動産市場が活況を呈していることもあり、住友林業やダイワハウスも本社機能を移転してきています。
ヒューストンには、ダイキンの北米本社と主力生産拠点があり、国内外で圧倒的なシェアを誇る精米機のサタケもアメリカ本社を置いています。USスチールを買収して話題になった日本製鉄も、買収完了後にUSスチールの本社があるペンシルベニア州ピッツバーグに移転するまでは、ヒューストンにアメリカ本社がありました。
中国企業も、たとえば華為技術(ファーウェイ)はプレイノにアメリカ本社を置いていますが、トヨタの北米本社が契約社員を含めて約6,000人雇用しているのに対して、ファーウェイは全米で数百人しか雇用していません。業態の違いもありますが、やはり雇用を創出しないと、地元の支持は得られません。
日本企業は中国でも同様のアプローチをして、ローカル・エリートと良好な関係を築いてきました。ところが、中国は連邦制ではなく中央集権制で、なおかつ民主主義ではなく権威主義なので、地方が中央に異議申し立てするのは難しい。だから、GVCに基づく相互依存が必ずしも日中関係の安定につながらないのです。
小嶋 そうしたビジネス・ファーストの姿勢は、中国を見る視点にも影響しているのでしょうか。
武内 そう思います。ダラスには共和党中道も民主党中道もいて、共通しているのは「テキサス経済・ファースト」です。だから、トランプ政権がNAFTAに手をつけたときには、団結して声を上げました。それがテキサス流の「独立自尊」だと私は考えています。共和党員の地盤ながら、「自分の党の大統領に文句を言っている人に会いたかったら、ダラスに来るといい」と言われたものです。
中国についても、権威主義国家であるがゆえのビジネス上のリスクを冷静に見ています。アメリカのいわゆる対中「関与(engagement)」政策は失敗したといわれますが、中国という巨大な市場からアメリカ企業が多大な恩恵を受けたのも事実です。市場経済の機能性を損ねる国有企業の優遇には批判的ですが、「経済の相互依存が国際関係に安定をもたらす」という、政治学で「コマーシャル・ピース」とよばれる考え方がテキサスの人々には浸透しているように思います。

中国経済の現在地―市場経済を軽視する習近平政権
では、現在の中国経済はどのように理解すべきなのだろうか。武内氏は、習近平政権の経済政策は市場経済を軽視しており、その背景には苦境にある経済の立て直しよりも一党支配体制の強化を優先せざるを得ない権威主義国家ならではの構造的問題があると指摘する。
武内 私の見るところ、習近平政権は、昨年10月の中国共産党第20期中央委員会第4回全体会議(四中全会)で採決された「第15次五カ年計画」(2026-30年)が示すように、明らかに民営経済主導から国有経済主導へと向かっています。2024年7月に開かれた第3回全体会議(三中全会)でも、対外開放を「基本の国策」として維持しつつ、国有企業を成長の柱にする方針を確認しました。習近平政権は国有企業改革に背を向けて、経済の効率性よりも政治の統制を優先しているように見えます。その根本にあるのは、一党支配体制の維持という政治の最優先課題です。習近平政権はあらゆる分野で党の指導を強化してきました。経済政策も例外ではありません。一党支配体制の維持に矛盾すると考えれば、経済の効率性を犠牲にすることを厭いません。
経済成長だけを考えれば、国有企業改革を進めて、民営経済を発展させた方が効率的です。中国はことあるごとに「保護主義に反対」という姿勢を示し、2021年にはTPP加盟を申請するなど、国際経済の秩序づくりにも意欲を見せています。ただ、そのためには国有企業改革が不可欠です。今の習近平政権の姿勢を見る限り、中国に国際秩序を主導するほどの能力があるのか疑問符を付けざるを得ません。
小嶋 確かに、共産党政権にとって一党支配体制の維持が最優先課題であることは間違いありません。ただ、中国共産党はすでに、人事や情報・イデオロギー、司法・公安など国家の中枢を握っています。胡錦濤政権末期に生じた政治的スキャンダル―薄熙来事件や周永康事件は確かに体制の危機でしたが、制度的・人事的対応、反腐敗キャンペーン、言論統制など多方面の手を打つことによって乗り切りました。そうした状況を踏まえるならば、経済の部分では、民営経済の発展空間を拡大しても、一党支配そのものは維持できるのではないでしょうか。
武内 理屈の上ではそうです。中国経済の専門家であるバリー・ノートン氏(カリフォルニア大学サンディエゴ校名誉教授)が『Engaging China: Fifty Years of Sino-American Relations』という本に寄稿した “A Perspective on Chinese Economics: What Have We Learned? What Did We Fail to Anticipate?” と題した論文のなかで、なぜ習近平政権が市場経済化を志向した改革をやめてしまったのかを検証しています。市場経済化が経済発展をもたらしたことは習近平氏自身もわかっているはずだという認識に基づいて、我々は習氏が国家主席に就任した後も当然国有企業改革を進めるだろうと予想していたわけです。ところが、習近平氏は「経済が十分に発展したのだから、これからは経済の効率性よりも政治の統制を優先してもいいだろう」と考えた、とノートン氏の考察は結論づけています。
それに加えて、権威主義体制においては「情報の不確実性」が指導者の計算を狂わせるという問題が出てきます。側近は指導者に忖度して耳障りのいいことばかり伝えるので、なかなか正確な情報が上がってこない。権威主義体制の指導者というのは孤独なものです。指導者も正確な情報が得られないことはわかっているので、往々にして「もっと統制しなければ危ない」という心理に陥りやすい。つまり、パラノイア(偏執病・妄想症)になりやすいのです。パラノイアになると、危機意識が過敏になって、ますます「情報の不確実性」に対して脆弱になってしまいます。中国政治のコンテクストでいえば、パラノイアに取り憑かれた結果、必要以上に国有経済主導になってしまうというわけです。
ただ、習近平氏の場合は、パラノイアのせいとばかりは言い切れないところがあります。胡錦濤政権末期は、集団指導制が行き過ぎて、党の統制が効かない状況でした。中国のエリート政治を長年検証してきた李成氏(香港大学教授)は、習近平氏は「このまま緩やかな統治と市場経済化を継続したならば体制が崩壊してしまう」と考え、逆方向に舵を切ることにしたと分析しています。李氏自身もフィナンシャル・タイムズのインタビューのなかで、あのまま胡錦濤政権が続いていたら早晩一党支配体制は立ち行かなくなっていただろうと述べています。習近平氏が本気でそう思っていたとしても不思議ではありません。
小嶋 習近平政権が、国家主導の経済運営を強めた背景の一つに、軍事安全保障や経済発展の基盤となる先端テクノロジーを短期間のうちに手に入れねばという強い動機がありました。これは一面では成功し、中国の国力の増強に寄与しましたが、他方で、電気自動車や太陽光パネル、リチウム電池など、重点産業に補助金が集中することにより、「内巻」と呼ばれる過当競争と経済効率の悪化を招きました。近年になって中央政府は、様々な場で無秩序な補助金競争に歯止めをかけるよう指示していますが、地方には地方の利権ネットワークがあり、中央の思うようには動きません。また、民間企業への融資についても同様に、中央の呼びかけに現場の金融機関が応じない、という構図が見て取れます。習近平政権の経済運営には、権威主義体制でありながら、中央の権力が必ずしも地方や末端を恭順させられない状況も影響しているのではないでしょうか。
武内 確かに中国の「大きさ」は考慮すべきファクターです。膨大な官僚機構をすべて共産党が指揮し管理するというのが中国の一党支配の仕組みです。胡錦濤政権は党政分離、政経分離の方向をとりましたが、習近平政権は党政、政経の一体化を急速に進めました。共産党がすべての組織を指導する原則は昔から変わらないのですが、こういう統治の仕組みの下で、上級組織の命令や指示を下部組織が効果的に実施するには、国の大きさが障害になります。
ただ、これらの問題の起点も、やはり中国が権威主義体制であるというところにあるのではないでしょうか。地方政府や業界団体が利権ネットワークを形成して抵抗するのも、逆に中央政府や党の指導者に忖度するのも、権威主義体制か民主主義体制かを問わず見られる行動です。ただ、民主主義の下では、選挙を通じて有権者の評価を受ける政治家が官僚機構に対峙したり、地元有権者の利益と中央政府への忖度をバランスさせたりするメカニズムが少なからず働きます。総じていえば、民意が働かない状況下のほうが、経済合理性に基づく政策の修正は難しくなります。日本では小泉政権下の郵政民営化のように、官僚機構と業界団体、族議員が癒着した利権ネットワークに切り込むような改革が進められましたが、そういうことは中国の一党支配体制では望むべくもないでしょう。
小嶋 中国経済の現状には、宇宙産業や情報技術など輝かしい側面と、不動産不況、過当競争、地方財政の逼迫といった暗い側面とが併存していますね。つい先日発表された今年4~6月期の経済統計を見ても、実質GDP成長率が前年同期比+4.3%、社会消費品小売総額は+1.3%と、経済は明らかに輸出に依存している状況です。このような中国の経済状況は、アメリカではどのように語られているのでしょうか。
武内 アメリカでは、「国有企業こそ中国経済の中心」という習近平政権の言説が繰り返し報道され、中国が補助金によって国有企業を支え、世界を中国から輸出された製品で溢れさせ、他国の産業を駆逐し、世界経済を支配しようとしている、といったナラティブが語られる傾向にあります。実際には、党中央や政府の発言には国内向けのもの、政権のレジティマシー(正統性)や指導者のオーソリティ(権威)を意識したものが多いのですが、中国は「独裁国家」なので、「独裁者・習近平」が言ったことは何でも政策として実現すると受けとめられがちです。
民主主義体制では正統性を問われるのは選挙のときだけですが、権威主義体制では自らの権力基盤が揺らいでいないことを日々確認する必要があります。そのためには、「自分は偉大な指導者」だと言い続けなければなりません。習近平氏が「中華民族の偉大なる復興」などと大それたことを言ったのも、結局のところ中国が権威主義体制だからです。選挙で選ばれたわけではないので、常に権力闘争をやっていないと寝首を掻かれてしまう。
一帯一路にしても、習近平氏が2013年に打ち出したときは、胡錦濤政権時代に進められた発展途上国に対する既存の投資プロジェクトを並べた上で、いわば後付け的に構想を描いたのですが、それを自分の成果だという筋書きにしたのです。習近平氏の大言壮語は国内向けだということを念頭に置いておかないと、中国は世界支配を目論んでいるのではないかというような言説が独り歩きしてしまいます。
昨今党派対立が深刻なアメリカですが、「中国脅威論」だけは党派を超えた合意となっています。習近平氏が2012年秋に党総書記に就き、ほぼ同時期に2期目のオバマ政権が始まった頃から、米中関係は急速に対立を深めてきました。今やワシントンでは中国に対する強硬姿勢を競い合う状況が常態化しています。一方、中国は、アメリカの対中強硬姿勢こそが米中対立の元凶と指摘しています。米中の対立は「お前が悪い」と言いあう水掛け論になってしまっているのですが、どちらの外交政策も国内政治に基づいているため、この傾向はしばらく続くと考えていいでしょう。
小嶋 確かに今般の第15次五カ年計画では、国有企業と国有資本を「より強く、より優れた、より大きなものへと発展させ、国有企業の中核的機能を強化し、中核的競争力を向上させる」方針を打ち出していますが、同時に、「民間経済促進法」を着実に運用し、民営経済の発展を保障することについても紙幅をさいて論じていますね。こうした民間経済のプレゼンスについて、アメリカでは否定的見解が多いということでしょうか。
武内 重要なのは、市場経済というのは政府が作るものではないということです。GVCが広がったのは、1990年代にインターネットが普及したときに企業が市場経済における最適解を探ったからであって、国家の産業政策がGVCの形成を促したからではありません。中国は2015年に発表された「中国製造2025」の頃から、GVCに基づいた国境をまたぐ工程間分業に背を向けて、自前の供給網を構築することに注力してきました。ロボットや航空宇宙などの重点分野において産業集積が促される一方、多数の企業が市場に参入して激しい競争が起こり、「内巻」とよばれる過剰生産や価格競争をもたらしました。
結果として、今中国では、若者の失業が切実な問題になっています。中国当局は年齢層で分けた失業率の公表を2023年7月分から停止しましたが、最後の発表となった2023年6月に16〜24歳の失業率は21%に達しました。一方で、少子高齢化による生産年齢人口減少の影響で労働力不足にも直面している。大学を卒業した若者が満足できる就職先が少ないにもかかわらず、政府の投資が普通の大学生が就職できないような情報技術産業に集中しているのはなぜか。私は、習近平政権が雇用の創出よりも米中の技術競争に勝つことを優先しているからではないかと思っています。「アメリカとの競争に勝つ」というメッセージは、党内の権力闘争で役に立ちます。一方、選挙に勝たなくてはいけないわけではないので、「雇用」を気にする必要はあまりないのです。
日米中三国はいずれもGVCの恩恵を受けていますが、それぞれの市場経済に対する向き合い方は異なります。中国は「支配」(dominance)>「成長」(growth)>「分配」(distribution)、アメリカは「成長」>「支配」>「分配」、日本は「分配」>「成長」>「支配」という優先順位ではないでしょうか。中国にとって長年「支配」と「成長」は矛盾する目標ではなかったのですが、経済が成熟するにつれて、そこに矛盾が生じている。アメリカはトランプ政権になって「支配」が前面に出てきて、外交関係の摩擦の種になっている。日本は「分配」ばかりやってきたために、経済が成長しなくなってしまった。各国それぞれ問題を抱えていますが、その背後には国内政治があるということです。

「ナラティブ」が国際関係を動かす時代にあって専門家に求められる役割とは
最後に話題は、中国の「語られ方」へと移った。オンライン上に玉石混交の情報が溢れる今日、中国に関する内在的理解や専門知をどのように政策担当者や社会に届ければよいのだろうか。
武内 今はSNSの時代で、「ことば」の武器化が「ナラティブ」の武器化につながっています。情報は短く、わかりやすい物語として広がります。でも、現実世界は複雑なので、単純な物語というのは誤解を招きやすいものが多い。そういう時代だからこそ、「ナラティブがどのように作られ、それが政策決定にどう影響するのか」を分析することが、これまで以上に重要になっていると思います。
小嶋 同感です。さらに日本には、アメリカで作られたナラティブが権威の衣をまとって輸入されたり、政治利用されたりすることも多いように感じます。フィリップ・デービッドソン氏(海軍大将)の発言が、「2027年台湾有事」説として広がったのが象徴的事例ですね。
武内 外交政策の決定においては、相手国にも国内政治に基づいた相手国なりのロジックがあり、発せられたメッセージが往々にして国内向けの発言でもあることを踏まえる必要があります。ところが、アメリカは「外国から学ばない」国で、相手国にも複雑な国内政治があることを忘れてしまいがちです。超大国としての神通力で世界をリードできたときはそれでよかったのですが、今のように影響力が落ちてくると、国としてのコミュニケーション能力の欠如があらわになってしまいます。それでも、アメリカの歴代政権では、中国専門家が内部に登用されることによって、中国の国内政治の文脈を踏まえた政策運営を促す「抑え」としての機能を果たしてきました。しかし、トランプ政権は専門家を排除した「素人」集団であり、その面でブレーキが効かなくなっているように感じます。ただ、中国に対する強硬姿勢については超党派の合意ができてしまっているので、今後だれが大統領になっても基本的には変わらないと思います。
昨今は、アメリカでも日本でも、いろいろなレベルで中国を知らない人が中国を語るようになっています。そして、SNSの普及がこの傾向を助長しています。中国専門家でない人たちは、中国の指導者というのは対米関係のことばかり考えていると思いがちです。対して、中国政治を知っている人から見れば、習近平氏にとって一番大事なことが国内政治の安定にあることは常識です。アメリカの大統領が何を言っても習近平氏が政権を追われることはありません。でも、農民や労働者、少数民族の不満が高じて暴動が起こったり、香港の問題が収拾できなくなったりしたら、政権の安定そのものに関わります。つまり、習近平氏は頻発する国内問題にモグラ叩きのように対応しなければならないわけです。そうした感覚が、おそらく中国を専門にしていない人にはわからない。
一方で、中国の指導者は、国内向けの大言壮語が誤解を招く可能性があることも踏まえて発言する必要があるでしょう。「超大国アメリカに対峙するリーダー」というイメージは習近平氏にとっては都合がよかったのですが、2022年2月の北京オリンピック直後に始まったロシアのウクライナ侵略では、初動でプーチン氏に寄り添うという立場をとったために「『西側陣営』対『中露陣営』」という対立軸に引き込まれてしまった。権力闘争に資する「反米」の火遊びをしていたら火事になってしまったというところでしょうか。
SNSの時代にはとかく言いっ放しの「ことば」が多いのですが、受け手がどう取るかということを踏まえてメッセージを発するというのは、コミュニケーションの基本的なルールであり、最低限のマナーです。それを守らないと、「ことば」が武器化されてしまいます。政策決定に携わる中国人エリートも、国内向けの「ことば」が国際社会にどう受け取られるかを考慮に入れてメッセージを発する必要があります。それが「責任ある大国」としての務めともいえるでしょう。
小嶋 政策決定における専門知の活用という点を考えたとき、日米の大きな違いの一つは、政策系シンクタンクの層の厚さにあるように思います。日本の政策系シンクタンクは自前の研究者育成機能を欠き、他方で、大学教員の多くは「生もの」である現状を追うことに過大な時間と精力が奪われないよう、本分である研究や教育とのバランスを模索している状況にあります。
武内 確かにアメリカの政策系シンクタンクは、ウィルソン・センターのような例外はあるものの、トランプ政権下でも民間からの潤沢な資金によって活発に発信しています。一つの提案として、日本のシンクタンクは、より国際化を目指す方向に舵を切ったほうがいいと思います。幸い、日本に魅力を感じる外国人は増えています。日本というのは、行ってみたらファンになる国です。中国研究についても、中国を含めた諸外国から研究者を集めることによって、日本の研究機関の人的交流も促され、研究力の向上が見込めるのではないでしょうか。
私が所属するSMUタワーセンターは、日本の地経学研究所(IOG)、東京大学先端科学技術研究センター(先端研・RCAST)創発戦略研究オープンラボ(ROLES)との共催で、今年7月に「日米関係と地域国際秩序:インド太平洋、中東、欧州」(U.S.-Japan Relations and Regional International Orders: The Indo-Pacific, the Middle East, and Europe)と題した国際シンポジウムを行いましたが、こういう機会を増やしていくことも大事です。コロナ禍で通信手段のデジタル化が急速に進んだ結果、オンラインと対面での参加を組み合わせることによって、「集い」の機会を増やすことが容易になったと感じます。羽田空港の国際化やタクシーアプリの普及も、外国に拠点を置く研究者を日本に招くには追い風です。
それから、研究・教育と現状を追うことのバランスですが、社会科学者として社会の問題に対する好奇心を失わず、アンテナをなるべく広く張って問題意識の感受性を磨くことが一番大事だと思います。そのうえで、専門家として社会に何ができるかを立ち止まって考える、社会に貢献するという姿勢を忘れてはいけません。研究者のなかには、論文執筆に集中するため、いかに教育に時間をかけないかに腐心している人もいるでしょう。でも、世代は必ず交代していくのですから、次の世代を担う学生を導き啓発していくというのも、我々の務めではないでしょうか。ひょっとすると、論文を発表するよりも社会に貢献できるかもしれません。
次の四半世紀に世界の舞台で主役になっていくのは、「Z世代」や「α世代」とよばれる21世紀に入ってから誕生した世代です。これからの25年はAI(人工知能)の時代になるのでしょうが、そのときこそ「人や社会、国家や世界はどうあるべきか」という規範的(normative)な問いが大事になってきます。幸い、私が接しているZ世代の学生たちは正義や平等といった価値判断を伴う問題への感度が高く、AI相手では到底受けられない刺激を受けています。簡単に答えが見つかるわけではありませんが、談論風発、お互い自問自答しながら、相手の見方に耳を傾けていると、人と社会に対する理解が深まります。「AIがあれば、リサーチアシスタントは必要ない」と言う人もいますが、社会科学者の使命というのは論文を書くことだけではありません。「どうやって社会に貢献するのか」「どんな人間になりたいのか」と自らに問いかけながら、あらゆる方向にアンテナを張って、これぞというシグナルをキャッチする。そのためには、研究・教育に携わりながら、「生もの」である現状を追う努力も必要です。
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